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易と手相

菊池寛 

小説家、劇作家。本名、菊池寛(ひろし)。明治21年12月26日~昭和23年3月6日。香川県高松市に生まれる。大正3年、京大英文科在学中に芥川龍之介らに勧誘され、第三次「新思潮」の同人となる。大正6年頃から本格的に執筆活動を開始し、大正7年に発表した「無名作家の日記」、「忠直卿行状記」によって文壇的地位を確立。芸術至上主義に対して、実生活の尊重と文学の社会化を主張し、「真珠夫人」(大正9)など、中上流階級の家庭を舞台とした通俗小説も多く執筆した。また、大正12年に雑誌「文芸春秋」創刊、大正15年に文芸家協会設立、昭和10年に芥川賞、直木賞設立など、編集出版や社会的活動においても目覚ましい成果を示し、文学の普及と発展に大きな功績を残した。昭和23年3月6日、狭心症により死去。享年59歳。代表作は「父帰る」、「無名作家の日記」、「忠直卿行状記」、「恩讐の彼方に」、「真珠夫人」など。

 自分が、易や手相のことを書くと笑う人がいるかも知れないが、自分が一生に一度見て貰った手相は、実によく適中した。  
それは、時事新報社の記者をしている頃だった、久米が二十七歳前のことだから、十年近い昔である。久米と芥川と僕とで、晩食を共にした後でもあったろうか、湯島天神の境内を通るとき、彼処に出ている一人の易者に冗談半分に見て貰ったのである。むろん諸君も想像する通り、芥川だけは見て貰わなかった。私の手相の判断は、実によかった。私が三十を越してから、栄達し、一群の人の上に立つことを云い、金銭に不自由しないことを云い、その他身上に起る二三の事実を指摘した。当時貧乏でまだ文壇に出ることなどは、夢にも思っていなかった私は、悪いよりも良い判断を欣んだが、私が栄達するとか、金に不自由しなくなるなどとは、夢にも思っていなかった。それが、十年後の今日に、此の手相見の言葉が悉く適中したと云ってもいゝだろう。身上に起った事変なども、手相見の云う通りであった。